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アメーバブログにちゃんとしたもの書くことにしました。
http://ameblo.jp/keibakko/
こちらを読んでいただけると嬉しいです。
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卒論 α1
金八先生における「声の共同体」。

第5シリーズ(98-99)
はじめて文化祭でソーラン節を取り入れる。
このシリーズでは、お年寄りの人たちとの交流シーンが多く見受けられ、はじめは、3Bとの衝突もあった。
金八シリーズでは、文化祭をきっかけにして、クラスが統一し始めるが、今回の場合、外部の人間(お年寄り)との壁が突き破られるように描かれている。
「声の共同体」は、階級差をなくして、1つのファミリー(漠然なニホンを長とする)を生み出す特徴があるが、このことを少しではあるが描いている。

第6シリーズ(01-02)
ソーラン節を3Bの伝統として、文化祭に取り入れ成功。クラスの団結心が高まる。
ここでは、現在の3B、過去の3Bとの壁が取り払われる仕組みになっている。
さらに、このシリーズで「声に出して読みたい日本語」が使われる。
性同一性障害を告白し、不登校になる鶴本直(上戸彩)の元へ、金八があらわれ「今、クラスで使っている本だ」といって、「声に出して〜」を直に渡す。
その後、3Bの生徒が直の家に訪れる。直の母は、直が生徒に会うことを拒んでいると説明し、生徒たちは直に会えない。しかし、直が見えない部屋から「声に出して〜」に収録されている、高村光太郎「道程」の一節が直の声によって流れてくる。その声を聞いて、3Bの生徒は笑顔になる。
ここでも、現実では、3B外の環境におかれている直が、3Bの一員として心が統一されている様が描かれている。

第6シリーズ(04-05)
このシリーズが一番顕著に出ている。
今までで最悪の3Bとして描かれる3Bの生徒たち。
このシリーズでは、ことば遣いが問題とされ、金八を適当にあしらったりする生徒に出会い、金八は今までにない苦戦を強いられる。
しかし、またもやここで文化祭=ソーラン節がクラス団結のきっかけとなる。金八に、「ソーラン節」で一位になったら、私の負けだ、でも君たちには不可能なことだ、と挑発され、挑発にのった3B生徒。
打倒金八の目標を持って、3B生徒はソーラン節を踊る。
そして、文化祭当日。
ここでのソーラン節の描き方がすごい。
いつの間にか、観客であるはずの保護者、地元の住民、お年寄り、先生、他のクラスの生徒までリズムにのって踊り出す。
ここには、今までのシリーズのように、生徒−観客、ソーラン節を見る−見られるの関係はすでになく、階級、年齢等、全てを打ち払って一体となった「声の共同体」が出来上がっている。
文化祭後、金八は「私の負けです」と頭をさげる。
それに対する3B生徒の反応が、また「声の共同体」を見事に表している。
「踊っているうちに、打倒金八とか、そんなことはどうでもよくなったよ」
打倒金八のために団結した3Bが、いつの間にか、打倒金八ではなく、団結している様が描かれる。
さらにすごいのは最終回。
第6シリーズから最終回にソーラン節を踊るようになっているのだが、今回のシリーズはさらにすごい。
覚せい剤使用で、学校に行けなくなった3Bの生徒しゅう。彼の審判は卒業式当日にきまる。
3B生徒はみんな、卒業式にしゅうが出席できることを信じ、署名活動を行う。
そして、卒業式にしゅうと一緒にソーラン節を踊ることを企画。
卒業式に向けて3B全員がソーラン節のもう特訓を行う。
ソーラン節のメロディにあわせて特訓する3B。留置所(?)らしきところで、1人で練習するしゅう。お互いが見えないところで、メロディ、リズムにあわせて特訓する様は、また3Bが統一している様を見事に描いている。
さらに、このシリーズでも、日本語朗読のシーンが出てくる。

全てのシリーズに共通し、またシリーズを増すごとに影響が強くなっているのが、「声の共同体」の存在である。
バラバラなクラスを統一するためのソーラン節。さらに、統一した姿を示す意味での最後のソーラン節。
学校の機能低下が騒がれ続ける中、金八は、常にそれに対応し、「声の共同体」によって、ユートピアなるものを描こうとする。
| 卒論 | 18:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
卒論 改訂
はじめに
1章〜3章をきちんと構成できてから、まとめる。

1章 声の共同体
※この章は兵藤裕己さんの議論を参照に、声の共同体の概念をまとめる。
従来の身体感覚から二拍子系リズムを取り出して特化させることで作られた近代日本人のリズム感覚。この感覚を呼び起こすことで、日常生活では経験できない「われわれ」日本人を帰属意識を作り出す。
しかも、このリズム感は、ある世代だけに特化したものではない。「声に出して読みたい日本語」に出てくる浪花節もあれば、サッカー日本代表やバレーボールの応援(ニホンチャチャチャ)も、根底は同じリズム感覚で成り立っている。

2章 日本語ブームのズレ
この章では、1章の概念(声の共同体)が現在強い影響力を及ぼしていることを、齋藤孝「声に出して読みたい日本語」をネタに実証する。
方法論は、斎藤と他の日本語本との比較。
今のところの結論は、斎藤「聞く日本語」に対する日本語本「見る日本語」で、前者が今求められている、とする。また、この比較についてはオング「声の文化と文字の文化」を援用する。

3章 見る日本から聞く日本へ
「声に出して読みたい日本語」前後、あるいは以降の、メディア言説を分析し、2章の流れが受け手にも共有されていることを実証する。
ネタとしては、たとえば「声に出して読みたい日本語」を取り扱った「金八先生」の中の日本の描き方、等。(現段階では、第5シリーズから取り入れられたソーラン節の描き方に変化があると予想している)。

おわりに(結論)
見る日本は、集団意識を弱めた。その危機から聞く日本が再発見された。(実証はまだなので、変更の可能性大)
| 卒論 | 21:10 | comments(2) | trackbacks(0) |
卒論14
1章 齋藤孝の立ち位置

健全な身体が健全な精神をつくる。
反復練習が、充実した「型」をつくる。

この2つは、かつての日本の理想の姿である。
この理想の姿を失ってしまった。

日本語朗読は、理想の姿を取り戻す、
1つの実践である。
取り戻すために、まずは子どもに実践してもらおう。
子どもをなめちゃいけない。

これが齋藤氏の思想。

しかし、この思想は、
日本独自のものではない。
西洋近代が生んだ概念である。

軍隊と教育の制度は同じもの。
しかし、齋藤氏は軍隊は日本主義として否定し、
教育を肯定する。

だから、日本語から連想されるイデオロギー的なものを、
齋藤氏は一切否定する。

しかし、イデオロギーの有無ではなく、
すでに教育の制度そのものが、
軍隊につながることを、
齋藤氏は見逃している。

参考文献
『監獄の誕生』『日本近代文学の起源』
『エミール』『身体の零度』等。
後は齋藤氏の理論本。

2章 日本語ブームとのズレ

.拭璽殴奪
日本語→若者
齋藤→子ども

両方、中高年に売れた。
しかし、齋藤氏は後に子ども向けの朗読本を出すことに。

経歴
日本語→国語学者、文学者
齋藤→身体論が専門の教育者

どんな日本語本か
日本語→知っておくべき
齋藤→思い出すべき

い覆柴本語を必要とするのか
日本語→ことばの乱れに対抗すべきもの
齋藤→心と身体が浮遊していることを危惧して

日本語ブームは、
ことばの乱れ、
不況によるアイデンティティの不安、
というように、
若者文化への危惧とつなげられやすい。

しかし、齋藤氏は1章で述べたとおり、
子どもへの危惧をとなえていた。

若者文化は、国家を脅かすものとして、
常に語られ続けたこともあり、
大人=保守というイデオロギーが見え隠れする。

しかし、子どもが対象となると、
イデオロギーは姿をあらわさない。
教育、成熟の問題に回収されるから。

参考文献
『ぷちナショナリズム症候群』
『腹芸』『文化ナショナリズムの社会学』
あとは、齋藤氏に対する言説

3章 若者を消す意味

齋藤の本の特徴。
「すぐに」「だれでも」実践できる。
なぜなら、かつての日本には、
自明のことであったから。

しかし、若者は、
かつての日本において、
対抗文化とされてきた。

だから、それを消さなければならない。
矛盾が起こるから。

子ども→大人を成熟ととらえて、
そこから発生する矛盾が若者であり、
そこを隠すことで、
理想の日本(イデオロギーは関係しない)は、
再生産される。

参考文献
『日本近代文学の起源』
『精神疾患と心理学』『子供の誕生』
『イミダス』→若者についての説明
あとは、齋藤氏の実践本。

こんな感じ。

でもこれじゃわけわからんので、
きちんと説明できる文に、
書き直す。
| 卒論 | 02:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
卒論13
消えた若者 〜齋藤孝を通じてみる社会〜

<はじめに>
齋藤孝の不思議

なぜ今、齋藤孝の本が出続けるのか。
2002年の日本語ブームから3年。
生き残ったのは齋藤孝のみ。

他の日本語本と何が違うのか?

刊行当初、送り手が狙ったターゲットは、
齋藤…子ども 日本語本…若者
であった。

さらに興味深いことに、
齋藤はその後、
朗読本以外にも、あらゆるテーマを出しているが、
ターゲットに「若者」はいっさい入ってこない。

一体、「若者」とは何か。

| 卒論 | 21:54 | comments(0) | trackbacks(1) |
卒論12
<タイトル>
発見されては忘れられる若者
〜齋藤孝を通じてみえる社会〜

<何が問題なのか>
2001年9月に刊行された、
齋藤孝『声に出して読みたい日本語』は100万をこえるベストセラーになった。後発の日本語本も立て続けにヒットした。

ところで、興味深いのは、
齋藤孝と、他の日本語本の著者の、
ターゲットの違いである。

日本語本の著者→若者
齋藤孝→子ども

これは、単なるニュアンスの違いにすぎないのか。
いや、そうではない。

『声に出して〜』をはじめとする日本語本は、
中高年を中心に売り上げをのばしたとされる。
つまり、当初のターゲットとは違う世代にヒットしたわけだ。

問題なのはその後である。

齋藤孝は、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の監修をする。
「こども」向けの朗読本もヒット。
さらに「社会人」に向けたビジネス本も多く出版する。
しかし「若者」に直接向けた本は、出ていない。

齋藤孝の本の帯をみると、
それが顕著に出ている。

『理想の国語教科書』
小学三年生から、全世代がくり返し味わいたい「すごみ」のある名文。

『子どもの日本語力をきたえる』
今日から実践できる親子で楽しむトレーニング・メソッド。
ゴールデン・エイジ」は驚異的に成長する。

『「五感力」を育てる』
子どもに授けたい”五感喪失”時代の処方箋

『スラムダンクを読み返せ!!』
中高生若いころを忘れた大人たちに贈る

『理想の国語教科書 赤版』
小学三年生なら、どんどん読める
大人も感動する

『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』
子どもたちとすべての大人のため

もしかすれば、
「子どもたちとすべての大人のため」
の中には「若者」だって含まれるではないか、
と主張する人もいるかもしれない。

しかし、それなら、
なぜ「子どもたちと若者と大人のため」
というべきではないか。

いや、そもそも、
「若者」ということばは、年齢的に、
「子ども」と「大人」の間をあらわすだけのことばなのか。
決してそうでないところに、
齋藤の本が今でも売れ続け、
齋藤の本の帯に書かれるのが、
「子どもたちと大人たちのため」である、
最大の理由があるのではないだろうか。

そこで、この卒論では、
日本語ブーム=齋藤孝ブームとみずに、
齋藤孝が売れ続ける理由を検討することで、
「若者」に対する、
社会の1つの支配的な見方を明らかにする。
| 卒論 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |