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卒論3
(はじめに)
日本語ブームに対する通説。

『声に出して読みたい日本語』が売れて1年。
そのころの専門家の反応は以下のとおり。

『声に出して〜』は中高年に売れている。
この類の本の送り手は、
「若者」を意識して書いているのにも関わらず、
反応したのは「中高年」。

98年に売れた『日本語練習帳』は、
日本語ブームの先駆け、と言われているが、
この本も、著者がターゲットにした「若者」ではなく、
「中高年」に売れた。

そこで、日本語ブームの要因を、
専門家は次の2つに集約した。

”古主義
不況

,蓮△つてのよき日本、
を中高年の人が懐かしむ、ということ。

△鷲垓靴里箸は、
人々の心も不安定になり、
アイデンティティも不安定になるので、
日本人であるアイデンティティを確保したい、
という欲からくる、ということ。

しかし、この通説が出てから、
少し流れは変わったように思われる。

まず1つとして、
NHKの「日本語であそぼ」のように、
(主に小学生)のこどもの中でブームとなった。
それにつれて、
こども向けの朗読テキストも売れた。

次に、齋藤孝自身が、日本語本だけでなく、
ビジネス本も多く出すようになった。
(「コメント力」「コミュニケーション力」といった本)
特にここ1年ぐらいは、
齋藤孝のビジネス本が多く刊行され、
また、ベストセラーとまでは行かずとも、
売れている。

また、日本語ブームについては、
つい最近になって、
TVで日本語をターゲットにする番組が増えてきた。

そこで、当初の、
中高年のみのブームから、
少なくとも、
ブームの対象が広がったように思われる。

しかし、いまだに、
ぼくのような20代大学生、
あるいは30〜40代の反応というのは、
あまり聞こえない。

つまり、当初、
日本語ブームを発信した人たちがターゲットにしていた、
「若者」は、結果的に、
飛び越えて「子ども」に、
また、日本人のコミュニケーション力が常に話題になる、
ビジネス界に、拡大した。

そうなると、
単に、日本語ブーム=中高年でみるのではなく、
20〜40(あるいは50?)代を飛んで受け入れられている齋藤孝ブーム、
という現象をみる必要がある。
なので、当初の日本語ブームの通説は通用しない。

そこで、まず、
齋藤孝自身が持つ多様なフィールド、
身体論、教育学、日本語、
を1つの視点でまとめることが必要である。

それを、
1章、身体論
2章、日本語
のジャンルに分けて行う。

齋藤氏の主張をまとめるとこんな感じ。

今の日本人は、若者を中心として健全な精神(中心感覚)がない。
それは、身体を軽視したからだ。
なぜなら、健全な身体をつくることは、健全な精神を作るからだ。
健全な身体をつくるには、反復することで型をつくることが必要だ。
朗読は型の教育の1つ。
身体を鍛える感覚で日本語を磨くことが必要だ。
子どもは健全な精神をつくるメカニズムを吸収する力がある。
だから子どもをなめるな。
わたしは子どもにこの思想を伝えたい。

この齋藤の主張は、
どのような視点にたっているのか、
を2章で明らかにする。

3章は、ビジネス界まで広がった今をみるため、
ビジネス界で常に関心をもたれる、
日本人のコミュニケーション力について、
松本道弘と齋藤孝の類似点を見つける。

で、実は、
ここに、日本語ブームの裏に隠れた、
日本人が共有する欲望、思考様式がある、
ということを明らかにする。

共通しているものは以下のとおり。

日本人は西洋の概念を無批判に輸入しすぎ。
このことに危機感を持つ。
で、その概念というのはただ1つ。
デカルト的な心身二元論、心が大事、
ということ。

でも、日本には、
「腹芸」を象徴するような、
ことば、論理、こころ、以外のもの
(ノンバーバルコミュニケーションの類)で、
立派な文化を持っているではないか。

だから、それを世界に発信すべき。

ここには、
山口先生が「英語講座の誕生」でモデル化していた、
非対称な関係(日本は「欧米」から受信し、「曖昧な世界」へ発信する)
が透けてみえる。

で、ここで重要なのは、
あくまで、
日本が受信する「西洋」は、
デカルト的心身二元論であるということ。

しかし、西洋のこの、
デカルト的心身二元論といわれるやつは、
ずっと昔から西洋にあったわけではない。

それどころか、
この西洋に対抗して発信する日本独自の概念は、
ルソーがすでに理念としていたものである。
健全な身体が健全な精神をつくる、
という考えは、
元々西洋にあったものなのである。

で、4章においては、
この「西洋化に対する危機」を、
若者批判につなげる動きを明らかにする。

元々、20〜40代の中高年から「若者」とされる人々は、
ポストモダンの全盛期に、
幼少、青年期を生きていて、
ポストモダンの影響を強く生きている。

そして、中高年は、
この世代を、
西洋化の弊害として、批判対象にする。

だから、日本語本は、
常に「若者」を対象にするわけだ。

しかし、ポストモダンとは、
モダン(西洋近代キリスト教)を批判するものとして、
生れたのではないか?

そこにズレがある。

西洋化に対する危機感を、
若者批判と同調化させる。

だから、西洋化に対抗するための、
日本の発信は、
「若者」にすべきだった。

そして、結果、
まず反応したのは、中高年であり、
次にこどもであった。
そして、若者も含むビジネスの分野にも発信されるようになった。

若者を生贄して、
日本の発信を可能にする日本、
てな感じがするのだが、
ここから先はまだ見えていない。

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